ゴルフ界ジャンボ軍団の尾崎健夫を支えるトレーニング

ゴルフ

1954年、徳島県で尾崎家の次男として生まれた尾崎健夫は高校時代は野球で活躍します。エースとして名を馳せ、プロ野球からドラフト3位の評価を得ましたがこれを拒否。兄のジャンボ尾崎と同じプロゴルフを志します。1976年にプロツアーデビューを果たし、1984年には初優勝を飾ります。彼に加えて兄のジャンボ尾崎こと尾崎将司、弟のジョー尾崎こと尾崎直道を中心としたゴルフ界きっての飛ばし屋集団、ジャンボ軍団でも随一の飛距離を誇り、そのドライバーの飛ばしぶりに驚いたアメリカの若手プロがジェット機のようだと表現したことから、ジェット尾崎と呼ばれるようになりました。豪快なゴルフと人懐っこい性格でジャンボ軍団の中でも人気者として知られます。

尾崎健夫はトレーニングマニアとしても有名です。趣味がトレーニングだと公言するほどで、シニアツアーに参戦しても飛ばしぶりが健在なのはそれを支える激しい鍛錬です。若い頃からジャンボ軍団独特の練習法を中心に鍛え上げ、今でもシニアツアーに参戦しています。

シニアツアーを拒絶するゴルフ界の超大物にしてジャンボ軍団の長ジャンボ尾崎

1947年徳島県に生まれた尾崎正司は野球で名を馳せます。高校時代は全国優勝も成し遂げます。1965年に西鉄ライオンズに入団したものの、プロ野球の世界では結果を残せず自ら退団の道を選びます。ゴルフに転向した彼は1970年にプロテストに合格。翌1971年には初優勝を果たし、それからはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、ゴルフ界の第一人者として日本中の人に知られる存在となりました。転向してからの尾崎将司、またはニックネームのジャンボ尾崎という名の方が認知度が高いのはそのためです。

圧倒的な強さ、奇抜なファッション、豪快な言動でスターダムにのし上がり、試合に出れば勝つという時期が長く続きました。弟のジェット尾崎こと尾崎健夫、ジョー尾崎こと尾崎直道やコングこと飯合肇などを従え、ジャンボ軍団と呼ばれる一大勢力でゴルフ界を席巻。豪快に飛ばし距離を稼ぐスタイルで12年連続賞金王を輩出します。

その長として君臨するジャンボ尾崎は通算優勝113回、賞金王12回など数々の偉業を成し遂げます。年齢を重ね予選通過もままならなくなってもシニアツアーへの出場は断固拒否。レギュラーツアーにこだわり続ける頑固な姿勢を貫いています。